Fラン大中退ニートが成人式に参加した結果
人生の晴れ舞台、成人式。
行かないだろうなと思っていたが、親に半ば強制的に参加させられた。
それも、かの悪名高き沖縄県の成人式に、だ。というのも、小学生から中学生までのおよそ8年間を沖縄で過ごしたからだ。
リーゼントでキメた成人が、派手に装飾されたちんちくりんなバイクにまたがり、警察に指導される。おなじみの光景だが、そのいかつい成人がかつての同級生で顔見知りなのだからものすごい違和感だった。
結論からいえば、参加してよかった。中学生の頃に友人がひとりもいなかった、ニートでも、いじめられていた、とか、悲しい事情がなければ参加してみてもいいかもしれない。
高校では内向的な性格をこじらせて所謂ぼっちだったが、中学ではそこそこ天真爛漫に振る舞っていたため、人並みに友人がいた。
いざ会場に到着するとすぐに声をかけられ、大げさに声をあげて懐かしまれ、うれしかった。
それから、自分から声をかける暇もなく、数々の同級生から話しかけられた。リアルの人間とのコミュニケーションを久しぶりに感じた。ツイッターで、顔もみたことのない相手からリプライをもらうより遥かに気持ちがいい。
ただ問題はそこからだ。成人式でのかつての友との話題といえば、今なにをしているか、だ。
やつらは容赦なく、学生なのか社会人なのか、その2択で迫ってくる。そこで禁断の3択目、ゴミニートであることを告白しなければならない。
嘘をつくのもありだが、それは気がひけた。それは今の自分を否定することだからだ。そんなことは受け入れられない。自信を持って大学をやめてニートだ!と言ってやった。もちろん実際はかすれた声できょどりながら応えていただろう。
きまずい雰囲気が漂うことになる。あまり説明したくないくらいだ。それに加えて、環境が合わないこともある、だとか下手なフォローを入れられるのが辛い。こういうのはゴミ人間じゃねえか!くらいに言ってもらうのが一番楽なものだ。
中にはさらに、今やりたいことはないのか?だとか、バイトはしてるの?といった残酷な追撃を仕掛けてくる奴もいる。
そして、声小さくなったね、静かキャラになったの?など、ぎくりとするような棘のある一言に、心をえぐられることもあった。
でもこれがかなりの刺激になる。自分はやはり人の道を外れてしまったのだと生々しく自覚できる。インターネットではニートが集まる為、そこまで少数派ではないのかと錯覚しがちだ。けれども、現実はやはり現実で、ニートなんてひとりもいなかった(来ないだけかもしれないが)。自分より勉強ができなかった猿みたいな奴が、もう結婚して子どもを作っているのだ。大学でやりたいことを見つけて、必死に勉強している人間もいる。
実は誘われて二次会にも行ったのだけれど、なんというか雰囲気が恐ろしく大人びていた。酒は全く飲まず、飲み会なんてものは全く経験のない自分からすると、異世界だった。かつての友人が隣で酩酊しているのだ。
羨ましかった。心底楽しそうに話しかけてくる友人が、リーゼントに固めた頭を振り回して今を生きている友人が、くだらないことで大笑いしている友人が。
自分はまだ子どもだった。大人になりきれていなかった。成人式と言う場で、自分だけが成人しきれていなかった。大勢が陽気に酒を飲み交わす中、自分の不甲斐なさにシラフで鬱々としていた。オレンジジュースをちびちびと飲んでいた。
もう「正常」な人間にはなれないんだと確信できた。大人の世界にまったく溶け込むことができない。ただただ、自信喪失して、自己嫌悪して、それで終わりだ。ここで向上心をもってもっと頑張らなければなんて意気込める人間ではないのだ。
ある意味で社会不適合状態を正当化できた成人式だった。
次の日風邪をひいてしまった。まだ鼻水が止まらない。